2012年03月12日
「ギリギリの生活を超えてます」。山形市西部のアパート。小学生の長男(10)、幼稚園児の長女(5)と暮らす佐藤孝子さん(36)=仮名=は宙を見つめた。実父と夫を福島市に残し、県の借り上げ住宅制度を利用して山形市に避難してから間もなく半年がたつ。すぐに笑みを浮かべたが、疲れがにじんだ。
避難したことを後悔してはいない。子どもたちが外で元気に遊ぶ姿を見られることが何よりだ。ただ「二重生活はつらい」。6年前に新築した自宅のローン返済はこの先20年以上続く。光熱費を抑えるため、風呂は1日おき。台所でもほとんどお湯は使わず両手は霜焼けになった。幼稚園費は市立から私立に変わり5倍の約3万円に。外食もせず、福島の夫も好きな晩酌を控えている。
「二重生活は本当に厳しい」と語る佐藤孝子さん(仮名)。節約のため、台所でほとんどお湯を使わない=山形市
「山形に長くいたい。でも住宅ローンとアパート代の両方は払えない」と佐藤さん。借り上げ期間満了後の生活を考えると不安に襲われる。
避難した人たちは山形で働き口を探しているが、なかなか条件に合う仕事が見つからない。福島県南相馬市から避難してきた男性(51)は、嘱託の職を得たが「以前は管理職だったので、収入はかなり減った。いつまで働けるのか…」と漏らす。
「勇気振り絞って言ったよ、首にしてくださいって」。福島県浪江町から米沢市に避難した高橋賢さん(39)は2月、7年勤めた漁業用品販売会社を“解雇”された。事業所は被災し、休業中。雇用保険の特例給付を受けてほそぼそと暮らしてきたが、給付期限は3月10日までとされていた。生活するため、次の仕事を探すためには、実際に退職して失業手当の給付を受けるしかなかった。
古里は津波に遭い、原発事故で警戒区域になった。妻(33)、長男(5)と雇用促進住宅に身を寄せている。臨時職の妻と合わせても収入は以前のほぼ半分。東電からの仮払金は両親と祖母の生活資金とし、賠償金はまだ請求していない。
「好きな仕事だったよ。港を歩き、漁に使う網を直して、漁師と仲良くなって」。すぐに帰れる気がしていた。仕事も再開できると思っていたが、期待通りには進まなかった。避難生活が長引く中、「この時間の使い方で今後の人生が決まる」と心を決めた。
退職手続きをした翌日、公共職業安定所から電話が鳴った。「退職しなくて大丈夫です」。3月2日、政府は特例給付期間の延長を閣議決定した。「もう少し早く決まっていれば…」「もう訳が分からないよ」。「あの日」からずっとだ。国の対応に翻弄(ほんろう)され続けている。
(「やまがたの避難者」取材班)
雇用保険の特例措置 震災、原発事故で事業所が休業を余儀なくされた場合、従業員は実際に離職していなくても失業手当を受給できる。給付額は賃金日額の約50~80%、期間は90~330日で、年齢や加入期間などで異なり、最大120日の延長が認められた。当初3月10日とされた給付期限は7日の政令改正で9月30日まで延長された。求職活動中の離職者を対象に、被害が大きい地域や原発事故の避難区域などに限って、さらに90日間の延長も行われている。