2012年03月16日
浪江町から避難している高橋ヒテさん(中央)。古里で過ごした日々を懐かしむ=米沢市
「生まれてからずっと浪江だったから、こんな景色見たことない。この年になって、珍しいものが見られて幸せ」
福島県浪江町から米沢市に避難している高橋ヒテさん(93)はそう言って、窓の外を眺めた。真っ白な雪に埋まった田んぼが遠くまで広がっている。予期せず強いられた異郷での暮らし。自然に受け入れているように装うが、本心は自作の和歌に表れる。「めがさめし開けたる窓に風うけてもう観(み)あきたとつんとため息」
親戚を頼り、長男の高橋昭太郎さん(68)、陽子さん(67)夫婦と共に市内でも山際の関根地区に避難した。冬になってからはほとんど1日中、部屋の中で過ごしている。
友とお茶飲みした日々を思い出す。民謡、習字など好きなことを楽しんで暮らしていた。90年余りを過ごした古里は大津波に遭い、福島第1原発事故で警戒区域になった。
春が来たら、陽子さんと福島市に移り、避難生活で弱った足腰のリハビリをする。同市には浪江町から避難している友がいる。古里の話をするヒテさんの表情は明るい。
「帰りたいです。だけんちょも、諦めました」とヒテさん。隣で昭太郎さんが目を伏せる。「聞かれるんだ。『死んだらどこに埋まんだ』って」
政府は今月末にも避難指示区域を見直す方針だが、引き続き避難を求める区域も設けられる。山形新聞の避難者アンケートでは、古里に戻る条件で最も多いのが「放射線量の低減」で39%。「避難指示の解除」は4%とわずかだ。「孫が帰れない町に帰っても仕方ない」と昭太郎さん。ただ、あとどれだけの時間をどこで生きるのか考えてしまうという。
「米沢に戻ってくるとはな」。米沢市の特別養護老人ホーム「万世園」で中俣新次郎さん(75)=福島県南相馬市=が笑う。米沢市出身。南相馬市に嫁いだ長女大塚夕美子さん(41)家族と余生を過ごそうと、4年余り前に家を引き払い、古里を出た。
昨年3月11日。特養施設から帰宅したその時に大地震が発生。中俣さんは送迎バスで施設に戻った。同15日、屋内退避指示発令。市内の物流が止まり、施設は横浜市へ集団避難した。
間借りした施設では十分な介護ができず、横浜市から福島市、新庄市と移動を余儀なくされた。再び家族に会えたのは4月上旬。中俣さんは鮭川村にいた。寝たきりで過ごしたためか、足腰は衰えた。今は車椅子で生活している。
「南相馬の家で家族一緒に過ごしてえな」とおどけて話し、娘の顔をのぞく中俣さん。大塚さんは困った顔をする。小中学生の子どもがいる。放射線が気になる。返答に詰まる娘を見て、中俣さんが続ける。「孫のこと考えたら帰れないな」
(この企画は報道部・鈴木悟、米沢支社・三浦光晴が執筆しました)