ラズベリーの高橋さん(庄内) 悩める跡取り、導いた赤い実
収穫が終わったラズベリー畑で夫の直之さん(右)と手入れ前の様子を見る
[ 動画はコチラ]「『農業を継ぐんだぞ』とずっと刷り込まれてきた」。道を決められることへの悩みと反発から、家出を試みたこともある。そんな高橋さんを「引っ張ってくれた」のがラズベリーだった。赤色の実が、イチゴ代わりにケーキを飾る果実。栽培法を学んで帰郷してからは、農園で育てるだけでなく、自らフルーツソースに加工し販売。ブラックベリーも手掛ける。「はらぺこファーム」と銘打ち、稲作や花の栽培に携わる家族と一緒に経営している。 最上川左岸の連枝(れんし)集落で代々続く専業農家。祖父は稲作と酪農、父は稲作に花と、複合経営を進めてきた。2人姉妹の長女として生まれた高橋さんは、酒田東高から北海道の酪農学園大に進学。でも、将来何をしたいか決めていたわけではない。「コメはつまんなそう」と感じながらも、漠然と過ごしていた。ところが帰省していた3年生の春「家族からごげられで(怒られて)」、近くにプチ家出。大学に戻ってからも半年ほど「自分のやりたい農業って何だろう」と悩んだ。悩み過ぎてうつ状態のようにもなった。「何か目標が必要」という思いにたどり着いた時、浮かんだのがラズベリーだった。 2年生のころ、農業実習に出掛けた田のあぜにラズベリーが生えていたのを見て、感動したことがあった。その時、実習先の農家に「栽培してジャムにしたりしないんですか」と尋ねても、返ってきた答えは「雑草だから明日刈ってやる」。ラズベリーが頭にひらめいてからあらためて調べてみると、産地が確立されていないことが分かった。「もしかしたらチャンスがあるかも」
ラズベリーのフルーツソースを手作りする高橋紀子さん=庄内町連枝
23歳の2001年、庄内町に戻り就農。翌年からラズベリー栽培に取り組み始めた。長野の師匠からは苗を分けてもらったほか、今も栽培のアドバイスを受ける。加工のモデルは山梨。試行錯誤を重ねながら、高橋さんならではの工夫も凝らす。ラズベリーやブラックベリーのフルーツソース作りに用いるのは、サトウキビの未精製糖。さらに顧客の反応を見ながら、糖度や種の分量などを少しずつ調整している。5年前には自宅敷地内に加工場を新築。自家栽培の果物だけでなく、近くの農家の桃、リンゴ、ラフランス、プラム、イチジクなどをフルーツソースやジャムにしている。小さ過ぎたり虫が付いたりして出荷できず、それまでは捨てられていた作物だ。 学生時代、仕事とは「ほかの人と違う自己表現をすること」と思っていた。栽培、加工を通して、それは逆だと実感した。「自分を無にして、どれだけお客さんの要望に応えるか。果物が何を求めているかに気付いて、そのものの良さを出していくにはどうするか」 ラズベリーを水先案内人にして、出会いも増えた。収穫期、畑は観光農園にもなる。子供の遊び場、地元の母親たちがほっとできる場所として開放したのが始まり。それが、今では東北公益文科大(酒田市)の学生が訪れたり、引きこもりだった男性が高橋さんのブログを見て連絡してきたり。農園を訪れた町内の酒店店長の発案で、酒田市内の蔵元と連携、ラズベリーとブラックベリーを使ったリキュールも開発した。ほぼ同じ世代の3人。「農業、小売店、造り酒屋。みな下火産業だよの」とうなずき合いながらも、身の周りにある物から真剣に考え、新たな成果を生み出した。 「みんなと同じことをしていても、一緒に右肩下がりになるだけ。先へ先へと種をまいていかなければ」。手探りでラズベリーに取り組むうちに、初め「面白くない」と反発していたコメが栽培体系、収益ともに確立したすごい作物だと実感できるようにもなった。2児の母親業と農業を両立させる高橋さんには、悩みまくっていた学生時代の面影はもうない。 (「食と農を問う」取材班) 【メモ】はらぺこファームのフルーツソースは庄内町のJR余目駅内の「あまるめホッとホーム」、鶴岡市の「アル・ケッチァーノ」、酒田市のみなと市場内の「け〜く〜こ〜」で販売している。問い合わせははらぺこファーム090(1491)4409。
(2010年09月19日 掲載)
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