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[10]薄く透明な太陽電池パネル 伊藤電子工業(寒河江)

2015/3/15 17:42

 薄緑色のパネルの向こうに春めく景色が広がる。例年より積雪量が多かった寒河江市内も、陽光が力強さを増すにつれ、日々、雪解けが進んでいる。伊藤電子工業(同市)が製作したパネルは薄く透明な太陽電池。その特性を生かし「発電する窓」など、従来の常識では考えられなかった製品が生み出されようとしている。

「発電する窓」として注目される有機薄膜太陽電池の試作品(右)。左は薄く曲げられる太陽電池

 炭素を含んだ化合物(有機化合物)を原材料とする電子工学は有機エレクトロニクスと呼ばれる。シリコン半導体を基盤とする従来のエレクトロニクスと異なり、作り出される製品は軽く、薄く、柔らかく、曲げられるといった特徴を有する。社会を劇的に変化させ得る技術であり、次世代の成長分野として世界的な研究開発競争が繰り広げられている。

 有機エレクトロニクスに参入したのはICタグの開発がきっかけだった。薄いカードに金額などを表示させるため着目したのが山形大工学部を中心に研究が進んでいた有機EL。有機材料を使って電気を光に変える技術だ。2007年に同学部と大学院から化学系の学生を採用し、本格的に有機EL研究と製品開発に着手した。

 表示が見えやすく、消費電力も少ない電卓を商品化した際には、有機EL業界で反響を呼んだ。だが市場の反応は冷たかった。「全然売れなかった」。伊藤圭一社長は苦笑しながら振り返る。「有機ELパネルが高く、電卓の価格は2万5千円。一般受けしなかった」

■山形大と連携

 次の転機は12年。同大から有機薄膜太陽電池への参入を打診された。有機ELからの切り替えを検討していた時期と重なったこともあり、開発チームはすぐに目標を変更、同大との共同研究に取り掛かった。有機ELの時代から、コストダウンや製品の大型化に不可欠とされる、有機材料の塗布技術の開発を手掛けていた。翌13年には国内最大の太陽電池展「PV EXPO」に透明な太陽電池の試作品を出品。当時としては初めて世に出たパネルの反響は大きかった。日本を代表する化学メーカーも有機薄膜太陽電池を手掛けているが、透明なパネルは伊藤電子工業だけだった。

 ブラインドカーテン状の製品は海外企業が既に発表している。だが、いわゆる窓として使用しながら発電できる太陽電池はまだない。住宅や自動車など広範かつ大規模な市場が見込まれ、山形大との共同研究は今年、科学技術振興機構(JST)の研究成果最適展開支援プログラムに採択された。

山形大との共同研究で有機薄膜太陽電池の開発に取り組む伊藤電子工業のスタッフ=米沢市・山形大有機エレクトロニクスイノベーションセンター

■進取の社風と

 大企業やベンチャーなどが多数参戦する国際的な開発競争で先陣争いを展開し、有機エレクトロニクスの平野を開拓する―。同社の現状は、コイル製造から始まった創業以来の歩みを振り返ると必然のように見える。メーカーがコスト削減のために製造を海外にシフトする中、自社で完成品まで手掛けられるよう成形部門と開発部門を設けたのが1989年。伊藤社長は当時の社長だった父親から開発課長を任ぜられた。以来、企画、開発、設計から材料調達、製造まで一貫したものづくりの先頭に立つ。

 背表紙の印刷などに用いられるラベルライター、自転車の電動変速システム、国産携帯電話に搭載され最近は防犯や車載機分野などで再び需要が高まっている高性能超小型カメラなどヒット商品も多数。「何にでも首を突っ込む」(伊藤社長)進取の社風と、原点であるものづくり企業としての誇りが融合し今がある。

 有機薄膜太陽電池に関して伊藤社長は「来年の今ごろの量産化を目指す。5~10年後は当社の柱に育てたい」と話す。「“発電する窓”の世界初の量産化」。この目標を掲げる同社にとって“次世代”はおぼろげな夢ではなく、はっきりとした輪郭で目の前に存在している。

(ものづくり取材班)

【伊藤電子工業】 1964(昭和39)年、大江町左沢で伊藤コイル製作所として創業。71年に現社名に変更し寒河江市中央工業団地に移転。89年に開発技術部・成形事業部を設置。92年に成形工場、97年に半導体事業部工場が完成。2003年にISO9001、05年にISO14001の認証取得。09年に経済産業省の「明日の日本を支える“元気なモノ作り300社”」に選定された。従業員400人。

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