わいわい子育て

やまがた“親”物語

バスケ日本女子のエース大神雄子選手の父・訓章さん

 バスケットボール女子日本代表のエースで、9日に全日本総合選手権3連覇を果たしたJXの大神雄子選手(28)=山形市出身。スピードと得点力を武器に2008年には世界トップリーグの米女子プロバスケットボールリーグ(WNBA)選手に。「アメリカでプレーする」という子どものころからの夢をかなえ、さらなる挑戦を続けている。父の訓章(くにあき)さん(61)に話を聞いた。

 -お父さんもバスケをやっていたんですよね。

雄子さんの写真を手にする訓章さん。「顔形、手足の短いとこは僕に似てるけど、性格は母親似かな」と冗談っぽく笑う=山形市・山形大小白川キャンパス
雄子さんの写真を手にする訓章さん。「顔形、手足の短いとこは僕に似てるけど、性格は母親似かな」と冗談っぽく笑う=山形市・山形大小白川キャンパス

 訓章 僕は中学、高校、東京教育大(現筑波大)とバスケ部。卒業後1973(昭和48)年に山形大に赴任し、今は地域教育文化学部教授として運動学やコーチングを教えている。男子バスケ部の部長、女子バスケ部監督もやっている。

 -雄子さんも自然とバスケの道に?

 大きなきっかけは、雄子が小学2年のときに1年間アメリカ・ロサンゼルスで過ごしたこと。僕がコーチングを学ぶために留学することになり、妻の典子、長女の雅子、次女の雄子の家族4人全員で渡米した。アメリカはとにかくバスケが盛ん。ファンのノリもよくて、会場はものすごい熱気。間近でNBA選手のプレーを見て夢中になり、アメリカでバスケを始めた。

 -おてんばだった?

 エネルギーが有り余ってたんだね。小学高学年のころは体重が70キロ近くあって「八小の武双山」と呼ばれていた。運動会で撮影したビデオを見ていると面白くて。雄子がグラウンドを歩いていると、1、2年生が近寄ってきて、パチン、パチン、と雄子をたたいていく。相撲を取り終えて花道をかえっていく力士を観客がさわるのとまるで一緒の光景(笑)。

 運動会や文化祭が大好きで、小学6年の騎馬戦では男の子たちに交じって一番上に。中学のときは応援団長をやった。みんなを盛り上げて元気よくやろう、というキャプテンシーが昔からあった。

 -根っからの元気よさ。

 とにかく体を動かすことが好きで、小中学校時代は、バスケのほかにゴルフの打ちっぱなしにも毎日のように行っていた。7番アイアンで150ヤード飛ばすほど。野球やサッカーも大好き。小学生のソフトボール大会に出れば男の子たちの中で3番ショート。ソフトボール投げで県の小学生記録を塗り替えた。

 -お父さんのDNAを受け継いだ?

 肩や背筋の強さは母親譲り。母の典子は日本体育大時代に全日本大学選手権(インカレ)で4連覇したバレーボール選手。明るい内面も母に似ているかな。

 -才能を伸ばす秘訣(ひけつ)がある?

 練習をするかどうか、全部本人の意志に任せていた。小学校のころは放課後4時半から6時までうめばちミニバスケクラブで練習。家で夕ご飯を食べたら、山大の体育館にシューティング練習か、ゴルフの打ちっぱなしに行く。ご飯を食べながら雄子の方から「お父さん、行く?」と聞いてくる。僕からは何も言わないから、雄子が「行く?」と言わないときは練習に行かなかった。でもほとんど毎日行ってたけどね。

 -夢に向かって、努力する娘をどう支えた?

 本人が自ら切り開いた。僕も妻も見守っていただけ。山形一中から愛知の桜花学園高に進学することも自分で決めた。親元を離れることになっても、心配は全くなかった。子供なりに、その年代に見合う自立をしていたから。父としてはもっと親に甘えろよ、という気持ちがあったぐらい。

 僕も妻も四国・徳島の出身。祖父母に会いに姉妹2人で飛行機に乗って行くことがあった。初めて2人で行ったのは雄子が3歳、姉の雅子が6歳のとき。山形空港のゲートまで送って、徳島の空港に祖父母が迎えに来る。見送りしていても、タラップから振り返らないんだよね。見送る親としては、振り返ってよーと思う(笑)。雄子の人生そのものも振り向かないで歩んでいると感じる。

 -まさに名前のごとく育った。

 「雄」だからねえ。僕の父が付けてくれた名前。名字に合う画数でこの漢字になった。男の子がほしいと思って育てたわけではないし、逆に女の子らしくしなさいと言ったこともない。親が「こうしなさい」と言ったことはなく、育つがまま。

 -父と娘、仲がいいんですね。

 アメリカでは、スーパーに行ったりするにもいつも家族4人で行動した。グランドキャニオンやナイアガラの滝を見に、1年の間にアメリカのほぼ全土に出掛けた。車に電気釜と米を積み込んで、僕が運転していく。日本でも正月や盆は、車で14、15時間かけて徳島に帰省していた。「運転するお父さんを寝かせちゃだめ」って、代わるがわる娘が助手席で話をして。そのときの濃密な時間が絆を育むのに貴重だった。

 -心配したことはなかったの?

 小学3年の正月に大けがをしたことがあった。乗っていたスノーモービルが、5メートルぐらいのがけ下に転落して第五腰椎の粉砕骨折。寝返りも打てない状態で、2カ月入院した。体が不自由になってもおかしくなかった事故。子供だったこともあって回復は早かったが、アテネ五輪の壮行式のときには「よくここまで育った」と涙を流す人もいた。

 -アメリカでプレーするという大きな夢を持ち続けた。

 初めはあこがれ。中学の時に全国で準優勝したり、高校時代はジュニア日本代表に選ばれたりして、だんだん「できるかも」という目標に変わっていったのだと思う。つらいこともあっただろうが、夢を持っていたから乗り越えられた。

 -訓章さんは山大女子バスケ部をインカレで5年連続ベスト8に導いている。体育大や私立大など並み居る強豪校の中での快挙。子育てにも共通する指導法がある?

 自立することが基本。押し付けはしないが、学生が主体的に取り組めるように声掛けしている。「自立なくして勝利なし」だね。

【記者ひとこと】

 後日、訓章さんに招かれ、本紙のスポーツ担当記者とともに山形市の自宅におじゃました。「雄子は主人のいいところを受け継いでくれたわー。色は白いし、まじめだし」と笑う典子さん。「お父さんとお姉ちゃんには一目置いていたみたい」とも。そういえば取材時には、訓章さんが典子さんをほめていた。最も身近な家族との関係はなおざりになりがち。大神家は夫婦、親子、姉妹、それぞれの関係性の中で、ごく自然に互いを尊重し合っている印象を受けた。雄子さんが早くから「自立」した背景がそこにあるのかもしれない。

メモおおが・ゆうこ

 1982年山形市生まれ。山形八小、山形一中、桜花学園高(愛知県)を経てJX(旧JOMO)。全国中学大会で準優勝。高校時代はインターハイなどで通算7冠達成。2001年世界ジュニア選手権で得点王。04年アテネ五輪にチーム最年少で出場。07年に日本人女子選手として初めてプロ登録。08年に強豪マーキュリーで日本人2人目のWNBA選手になり、通算23試合に出場、56得点。10年の世界選手権では日本代表の主将を務め得点王、チームは10位。ポジションはポイントガード。

2011年1月10日掲載
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