県内ニュース原田が北京五輪出場決める フェンシング女子、アテネに続き
2008年04月23日 22:55
原田めぐみ
2007−08年の日本代表としてワールドカップ(W杯)を転戦、最終戦を終えた世界ランキングは45位だったため、3月末時点ではランキングによる五輪出場が決まらずにいた。このため、上位2選手に出場権が与えられる最終予選に出場。16人によるトーナメントに臨み、決勝では香港選手に15−11で勝ち、1位で五輪切符を手にした。本県からは正式決定第1号となる“北京戦士”。既に日本代表チームが五輪出場権を得ている競技では、県勢は新体操団体の三沢樹知(東女体大・山形RG、山形北高出)、ホッケー女子の諏訪ひかり(天理大・米沢商高出)らが、正式エントリーメンバー入りを目指している。 南陽市出身の原田は、米沢興譲館高でフェンシングを始め、東京女体大、筑波大に進学し、全日本選手権3連覇を達成。04年のアテネ五輪に出場したほか、06年にはW杯で準優勝などの成績を収めてしている。 大けが乗り越え夢実現
靱帯断裂の大けがを克服し、フォームを改良した原田めぐみ選手。2度目の五輪出場を懸け、W杯の戦いに臨む
残された最後の切符を懸けた戦いだった。原田選手は大会前、こう言ってのけた。「試練は自分が成長するためにあると信じる。くじけずに目標に向かう」。2006年11月、日本代表選手を決める試合中に右足の靱帯を断裂したが、手術から半年で復活。体と精神の強化に努めながら技術改良を続け、五輪出場の道を自力で切り開いた。 吉報を受けた県体協の金森義弘会長は「日ごろからの強い気持ちがこの快挙に結び付いた。『計画的に練習を積み重ねて出場を狙う』と語った通りに夢を実現したことに敬意を表する」と称賛。県フェンシング協会の山口俊昭理事長は「とにもかくにも良かった。一本の重さを知り、不断の努力と強い心を持って自分を磨いていた。本調子でない中で徐々にペースを上げたようだ。五輪には最高の状態で臨んでほしい」と声を高ぶらせた。 夢をあきらめず、情熱を傾けてつかんだ北京行きの切符。23日午後6時40分ごろ、原田選手から「オリンピック決まったよ」と携帯電話に連絡を受けた父正夫さん(57)。「『五輪出場は当たり前』のプレッシャーや大けがで焦りもあったろう。よくやったと褒めてあげたい」と顔を紅潮させて語ると、「靱帯断裂の大きな壁を乗り越えての出場は支援してくださった方々のおかげ」と母祥子さん(56)が心からの感謝の言葉を継いだ。
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