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JA全農山形運営委員会長
長沢豊氏
長沢豊氏
【インタビュー】
 -農業、JAグループの現状を踏まえ、求める人材は。

 「キーワードは『心は農業協同組合人、発想・考動は一流商社マン』だ。JAグループの一員として、組合理念を理解し、食と農業にこだわって広い視野を持ち、生産者と消費者の懸け橋になってほしい。時代、ニーズは常に変化しており、従来の枠組みにとらわれず、スピード感を持ち現場の声に対応しなければいけない。経済団体や異業種との連携、モノのインターネット(IoT)活用、海外展開、将来の農業絵図を具体的にデザインできることも求めたい」

 -そのためにはどのような能力、努力が必要か。

 「常に世間、世界の動きをキャッチし、事業に活用できる能力や、高い対人対応能力、YES(イエス)から発想する能力だ。『全員が営業マン』との心構えを持ってもらい営業力を強化したいし、関係先の満足度向上のためプレゼンテーション力も強化したい。報告、連絡、相談を確実に実践できる能力も求める。普段から役職員がフラットな立場で議論でき、風通しの良い職場づくりを心掛けている。仕事を好きになり、楽しむくらいでなければ前に進められない。これからの日本は農協だけ、企業だけという考えでは成長できない。『共存同栄』の哲学を持たなければいけない」

 -仕事上で最も影響を受けた人物は誰か。その教えをどう生かしているか。

 「尊敬するのは両親であり先祖だ。特に父の平右衛門にはブドウ栽培技術だけでなく、組合長としての在り方も教わった。父は1983(昭和58)年に亡くなったが、それまで本沢農協組合長を務め、病を押して亡くなる5日前まで働いていた。その姿に一途(いちず)一心、不撓(ふとう)不屈の精神を学んだ。先祖で庄屋だった太郎右衛門、太吉親子は1747(延享4)年、貧窮する農家を守るため、農民一揆を指導した。その責任を取り、処刑されてしまったというが、そうした先祖の生きざまが父の生き方に影響し、私の生き方にも影響したと感じる」

 ★長沢豊氏(ながさわ・ゆたか) 東京農業大農学部卒。母校・旧上山農業高で講師を務めた後、家業のブドウ農家を継いだ。1984(昭和59)年に旧本沢農協理事となり、97年のJAやまがた発足後は常務理事、組合長を経て会長。2012年にJA山形中央会長、JA全農山形運営委員会長に就き、今年7月に全国組織のJA全農経営管理委員会長に就任した。67歳。

 ★JA全農山形 全国農業協同組合連合会山形県本部の愛称。産地育成など農業振興を含め県内JAグループの経済事業を担い、資材調達や農畜産物の流通、販売などを通し、農家の経営を支える。2008年にJA全農山形、JA全農庄内が合併し、誕生した。16年度総取扱高は1148億9938万円。職員数は220人(10月1日現在)。本部所在地は山形市七日町3の1の16。

【私と新聞】豊かな人生の道しるべ
 長沢豊会長は「新聞は豊かな人生を送るための道しるべだ」と語る。週の半分以上は東京に滞在する多忙な日々で、東京滞在中は山形新聞の読者限定電子版「やましんe聞」で県内ニュースをチェックする。

 読者の心をいかにして動かしているか、手本にできる教材だとして「新聞を通じて書き手の工夫や表現方法を学ぶことができる」と指摘。新聞を読むことで、新たな発見ができ、新たな発想が生まれるという。

 紙面を開くと、まず見出しを見て、関心があれば記事を読む。農業に限らず、幅広い分野に目を通す。山形新聞の社説について「内容に偏りがなく、県民視点で分かりやすい。日頃、愛読している」と話す。

【週刊経済ワード】アジア開発銀行(ADB)
 アジア太平洋地域の貧困をなくし、生活を向上させる目的で1966(昭和41)年につくられた国際金融機関。本部はマニラで、現在は67の国や地域が加盟しており、道路や橋、発電所といったインフラの整備に使う資金を発展途上国などに低い金利で貸し付けている。日本は米国と並ぶ最大の出資国で、総裁は全て日本人が務めてきた。現在の総裁は中尾武彦氏。今年5月の年次総会で、中尾総裁は中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)と協調する考えを示している。
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